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認めないことを認める


私はよくSMにおいて認めることの重要さを説いてきた。

ところが皆は完璧さを求めたがる。

しかしなかなかそれはうまくいかない。

なぜなら以前述べたとおり、今まで培ってきた理性が邪魔をしているからだ。

そしてそれに悩む方が非常に多い。

貴女は確認して欲しい。

仮に表面上は拒否していたとしても、身体は十分すぎるほど濡れていた。

あまりにも感じすぎ、気が付けばあっという間に時間が過ぎていた。

記憶に空白があった。

胸を張り裂くような絶叫。

それらの変化に貴女が気がつけば

自分自身の理性は認めていなくても、身体は認めているということがわかる。

身体の後に気持ちがついてゆく。

そして一番重要な要素は「時間」だ。

時間を味方につけなければ、そのような人はすぐに結論を出そうとする。

そして少しでも認められない部分を感じると、落胆あるいは失望してしまう。

「ありのままの自分を認める」ということは、「まだ認めていない部分も今は認めていなさい」ということでもある。

一度時間に身を委ね、翌日考えてみよう。

翌日考えてもわからなければまたあくる日。また次の日・・・。

その内、再び御主人様と逢う日が近づいてくる。

再会。

精神的にも肉体的にも凌駕される。

それを繰り返しているうちに身体と精神の方向性、そしてその長さがようやく揃い始めるだろう。

貴女は奴隷なり牝犬なり、主より名づけられ、まだまだ日は浅いはず。

それなのにいきなり完璧にその役目を果たすことができるだろうか。

自分をさらけ出す事ができるだろうか。

初めてであればあるほどそれは困難だと思われる。

認めない自分を認めること。逆説的だが非常に重要な言葉である。

主の立場としては身体面そのものを施すだけではなく、

その心構え、考え方を教えていくのも調教における醍醐味の一つかもしれない。

2003.5.29 heartz

 

 

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